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例えば「子どもを虐待している母親は、まずは子どもに対する詫びが先で、その前に夫に殴られていたことへの抗議をしてはいけない」のではなく、自分が夫に殴られ続けてもそれを当然のことと受け入れてきたおかしさに気がついて、ハッキリとノーと言える自分を手に入れることで、初めて、自分もまた子どもに同じような仕打ちをしてきたことにハタと気づくと言うことはあるわけですよ。

気づかない場合は、おそらくは、夫に対して口ではいろいろ文句を言っていても、まだ本当には被害者としての自分を受け入れてない場合だと私の感覚では思います。

だから、順番としては加害を認めるのが先、というのはよく分かるけど、人間の心は必ずしもそのようにできてないところがあるので、同時並行で良いんじゃないかとは思う。

繰り返すけど、被害者がそれを見てフザケルナ!と思うのは当然だし、そう言うことは大事だとも思うけれども。

そう言うことを、私が強く実感した映画は、坂上香さんの『ライファーズ』です。人を殺して終身刑に処された人たちが刑務所内で自助的なケアを受けることで、生きたいとか、赦されたいという自らの願いを心から感じることが出来るようになっていく、姿を描いた作品(と私は受け取った)。

自分が犯した過ちへの気づきはその先にあると私は感じました。「殺してくれ。早く死にたい」って言ってるうちはダメなんですよね。自分を大切にすることを知って、その上で他者を大切に思う心が初めて育つと私は思っています。

chupki.jpn.org/archives/6258

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