私の感覚では、言語的な指摘や議論ももちろん大事だけど、それよりも私としてやった方がいい気がしているのは、自分に関しては、実際に当たり前に自分の権利を行使することだったり(例えば、今の私は被雇用者じゃないから出来ないけど有給取るとか、なんの罪悪感も感じずに家事をやらないとか、空気を読まずに自分が普通に思っているその場の空気を悪くすることを飲み込まずに言うとか、面白くない時に笑わないとか、普通に怒るとか、怠けるとか)すると、昔から思っている。
それをやってるだけで、この国ではかなり浮いて変わり者のカテゴリーに入れられるが、当たり前のことをしているだけなので、何か言われたら「は?何か?」くらいの感じでやるのが良い。
もし世界中の皆んながそうするようになれば、それだけでかなり世の中は良くなる。
自分がそれをやってると、他の人が(例えば自分が働いている施設の障害者さんとかが)同じことをやっていても、当たり前だと思えるし、いちいち緊張して変なアドバイス(例えば「それだと嫌われちゃうよ」みたいな)をするような間抜けな行動に出なくて済む気がする。
自分が我慢して犠牲になってる母親とか、教員とか、施設職員とかは、自分のことも守れてないんだから、他人のことなんて守れるはずがない。
「まず隗より始めよ」だと思う。
それって、怠けるだけだし、わがままになるだけだから、簡単だと思う人もいるかもしれないけど、実際にやろうとすると、実はかなり難しいんですよ。時にかなり頑張らないと出来ないくらいには。
普通の人はそういうのが一番怖いものですからね。人にもよるけど、案外、正しいことを言ったりやったり、他人のために身を粉にして頑張ったりする方が楽だったりもするんです。
特に日本人には、結構大変なタスク。
私もそうだったし(自分では元々ものすごくわがままだと思っていたし、周囲にもそう言われていたけれど、それにもかかわらず)、クライアントも大抵そうですよ。わがままになったり、普通に身近な人に依存したり出来るようになるのが一番難しい。
よく皆んな勘違いしているけど、依存症の人も依存する病ではないですからね。他者に依存できない病です。結果としては振る舞いは周囲に迷惑かけているかもしれないけど、本人的には他者に依存することを自分に許していない。
依存症に限らず、何年もかけて面接して、それができるようになっただけで(いい意味で自己中に生きられるようになっただけで)、8割がた良くなってきたんじゃないかと思えるくらいには大事なことだと私は思っています。