bluesky、やっぱり「Twitterでは雰囲気に呑み込まれて言いたくもないことをずっと書いていた。だからここでは政治の話は書きたくない」と言うようなことを言っている人が何人か出てきたようだ。
確かに言いたくもないのに周りの圧に気おされて無理やり政治の話をせざるを得ない感じになっていたのだとしたら、それは大変気の毒だ。
空気に飲まれやすいのか。
Mastodonでも私が入ってきた頃、「Twitterにいる時はなるべくバズるようなことを書いているうちにそれが目的化してしまって、自分を見失っていた」って言っていた人も何人もいた。
皆、空気に飲まれやすいんだな。
不安でウケることをついやっちゃうのか。
無理してたのね。それは辛かろう。
私は割とどこでもマイペースな気がするので疲れない。周りの空気に合わせて無理に何かを書いている感じも全然ない。
政治の話も自分の人生の話をするのと変わらない。いつもいつも考えている。自分の人生のことと繋がっている。自分のために書いている。
Threadsは噂に聞く限り躁的で自己愛的なお祭り騒ぎのようだからエネルギー奪われそうで今は近づかない。
私自身はTwitterではむしろ水を得た魚みたいになっていたので、無理は全くしてないけど、Twitter自体の仕組み(ITの難しいことは私には分からないけど)の影響もかなりあったようで「敢えて対立を煽るようなことをTwitterがやっていたと。
それで皆が知らず知らずのうちに対立構造に飲み込まれていた」らしいです。ある種の気づかれざる操作のようなものはあったと。
あと自分の仲間的な人が皆で闘ってると加勢せざるを得ないみたいなのもあるんじゃないかな。
ただ実際に自民党政権がとんでもなく酷いのも、統一教会を何とかしないと大変なことになるのも、差別の問題がどんどん先鋭化してきているのも、別にTwitter社が作ったことではなく、リアル世界で起きている事実で、それにとにかくダメ元でも待ったなしで立ち向かわなければならないのも単純に事実でしかないので、私にとってみれば、煽られたとか何とかは全く関係ないですね。
私は割とネトウヨの相手をする時も敢えて対話的にすることの方が多かったし。
無駄なのはわかってても、慇懃無礼っていうこともありますからね。
@zpitschi
個人的には「沈黙しなければいけない」空気に飲まれる気持ちはよく分かるんですが、「話さなくてはならない、書かなくてはならない」という飲まれ方が分からないんですよね。
辛いならやめればいいし、でもそれをせずにいられないのは承認欲求を満たしたいからであって、それって本末転倒なのではと思いました。