昔の(もう私の中では昔になっちゃったなぁ)国会前とかで毎週「安倍やめろ」の集会やってた頃、コールの中に「言葉を壊すな!」って、ありましたよね。
私はあのコールがいつも一番胸に響いた。
安倍的なもの、または維新的なものがやってきたことで、私が一番許せないのはそれなんですよ。
嘘ばっかりつきやがって、綺麗事ばっかり言いやがって、言葉の命を、言葉が持つ力を、魂を、踏み躙り、奪い続けてきている。「要は倒錯)
そのことが許せない。
あのコールの時は、いつも本当に涙が出た。
昔(これは本当に昔。20年くらい前)、私が心理の勉強を始めたのは家族療法からだったんだけど、当時私が教わっていた斎藤学さんが、家族療法の講義が何かで、いわゆる「機能不全家族」では言葉が無効化されるんだと、力を奪われているんだという話をしていて、私はその説明にとても納得した。
何故なら私の実家で起きていたことがまさにソレだと思ったから。
そして、家族療法でやることは、その家族に、もう一度、言葉の力を取り戻させることなんだと、その時の斎藤先生は言っていた。
言葉が死ぬと、人間は心が死にます。だから、私は安倍的なものからこの国を守ることって、要は私たちが言葉を壊されないこと。言葉を守り抜くことだと思っている。