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なるほど。

Twitterでも最近、宗教をめぐって、以前から相互の人と揉めたんだけど、その人は「宗教は悪!(多分カルトと普通の宗教がごちゃ混ぜになっている)」みたいな強固な信念を持っていると同時に、先祖崇拝みたいなとても素朴な、土着的な?信仰というか、世俗的な倫理観はあって、それは「(“悪“である)宗教」とは違うんだという風に言っていたなぁ。

そういうのと、国家神道みたいなやつは、とてもナチュラルに結びつくんだろうな。

泉健太にしても米山隆一さんにしても、とっても素朴な“伝統的な“倫理観を素直に信じているだけの人で、そこを攻撃されると本人的には「何がいけないんだ?!(ムキッ!)」となる、その気分は分からないでもないんだけど、多分、米山さんはリベラルの言う理屈も頭では理屈として知っていてでも自分の信念がそれに勝ってて、泉健太は多分あんまり理解できてないと言う違いはあれど、あの手の人は身の回りにもたくさんいると思うし、なかなか厳しいものがあるよな。

しかし、それらは皆んな、結局、古い家族観(家父長制的)や、とどのつまりは国体護持の国家神道に繋がっていくわけで。それこそが日本の“宗教“なのに「日本には宗教はない」と思い込んでいて、“宗教“を警戒し冷笑している。自らを客観視、相対化、出来てないんだよな。

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