あー、ザイトクが反対意見を言うことで相手を黙らせようとするのはこれを利用してるのかも。僕はザイトクなんてそんなものだと思ってるから「あなたが反対していることはわかりました。それで?」って言っちゃうんだけど。
「(自分の前で)自分を出す相手への恐怖」が日本人、ハンパないんだよね。自分と相手との差異に耐えられないから」
ちゃんと知識を持って撃退しなければ負けちゃうと言う思い込みも強いですからね、日本人。だから分からないことを強めに言われると「勝てない」と思って言葉を失っちゃう。本当は別に撃退(勝つこと)しなくても「私は嫌だ」と対立(自己主張)するだけで十分なんだけど。
これも「正解は一つしかない」みたいな教育の成果でもあると思うけど。
「人生それまでに人と話し合った時間」を累積するなんらかの方法があるとして、その累積時間を欧州の一般的な人間と、日本の一般的な人間で比較したら、桁違いに前者の方が長いだろう、と私は思っています。とにかく、なんでもいいから会ったり、集まったりして人と話している。日本人的には異様におしゃべりだと言われる私でさえ、たまにしゃべるのが辛くなるぐらいえんえんとしゃべる。
子供の時からそうした習慣を続けているから無理なくそれができるのではないかと思っていますが、こうしたコミュニケーションの強度の中で、自然に、しゃべる自分としゃべっている誰か、という個が浮き彫りになって個という定常状態が形成されているのだろうなあ、と思っています。なにもなしに、無から個は生まれないので。
ここで再び重要になるのが、コミュニケーションの前提となる時間、です。時間がなければおしゃべりはできない。そうすると、個の形成はきわめて脆弱な定常状態にしかならない。「戦中」にあることで、時間を奪われ、そのようになっているのだと思っています。
卵と鶏になってしまうのですが、日本人がこんな「戦中」をずっと続けているのは「しんどいけど、その方がまだ安心だから」だろうと、私の目には映ってしまうよですよね。家族とでさえ(いや寧ろ家族であればなおのこと)、向き合って自分の言葉でしゃべると言うことが死ぬほど怖い人たち…それが日本人です。作れば作れる時間でさえ、どうしたら持たずに済むかに、皆んな汲々としています。
帰宅するのが怖いから(本当は早く帰ろうと思えば帰れるのに)深夜まで残業しているサラリーマンや、人生を家事で埋め尽くすことで、それで子どもや夫とのコミュニケーションの代わりにしている妻(母)など、まったく見慣れた光景です。
なので、時間をたっぷり確保して、ただ自分のことを語ってもらう心理面接では、彼らは途方に暮れる。治療者がどんな反応を期待しているのかを必死で探ってくるか、または自分を安心させるような反応をして(仲良くして)くれることを求めてきたり、それが望めないと分かると今度は怒りを爆発させたりと言うことが往々にして起きる。
だから、国民に馬車馬みたいに働くことを強いる政府と強いられる国民は、案外win-winなんじゃないかと思ったりしています。
@pandapanda @zpitschi @kmiura @lematin
ウチの家族がまさにそうです。
窒息しそうなくらい息苦しかった。
@pandapanda @simostukisizuk @kmiura @lematin
ちょっと違うかもだけど、少し古い映画だけど、「バッファロー66」とか、「アメリカンビューティ」とか観た時には、あの両親の関係にデジャヴ感がありましたね。話をしているようで何も話ができてない、あの感じ。頭がクラクラしてくる感じ。そう考えると日本だけの話でもないのか。日本だとあそこまでも行かないのかもだけど。
@zpitschi @pandapanda @simostukisizuk @kmiura 韓国でも全く同じ話があります。「社会が常に緊急事態であると考えられるので、夫婦が自分の役割に没入する」という説明があるところまで同じ。