あー、ザイトクが反対意見を言うことで相手を黙らせようとするのはこれを利用してるのかも。僕はザイトクなんてそんなものだと思ってるから「あなたが反対していることはわかりました。それで?」って言っちゃうんだけど。
「(自分の前で)自分を出す相手への恐怖」が日本人、ハンパないんだよね。自分と相手との差異に耐えられないから」
ちゃんと知識を持って撃退しなければ負けちゃうと言う思い込みも強いですからね、日本人。だから分からないことを強めに言われると「勝てない」と思って言葉を失っちゃう。本当は別に撃退(勝つこと)しなくても「私は嫌だ」と対立(自己主張)するだけで十分なんだけど。
これも「正解は一つしかない」みたいな教育の成果でもあると思うけど。
「人生それまでに人と話し合った時間」を累積するなんらかの方法があるとして、その累積時間を欧州の一般的な人間と、日本の一般的な人間で比較したら、桁違いに前者の方が長いだろう、と私は思っています。とにかく、なんでもいいから会ったり、集まったりして人と話している。日本人的には異様におしゃべりだと言われる私でさえ、たまにしゃべるのが辛くなるぐらいえんえんとしゃべる。
子供の時からそうした習慣を続けているから無理なくそれができるのではないかと思っていますが、こうしたコミュニケーションの強度の中で、自然に、しゃべる自分としゃべっている誰か、という個が浮き彫りになって個という定常状態が形成されているのだろうなあ、と思っています。なにもなしに、無から個は生まれないので。
ここで再び重要になるのが、コミュニケーションの前提となる時間、です。時間がなければおしゃべりはできない。そうすると、個の形成はきわめて脆弱な定常状態にしかならない。「戦中」にあることで、時間を奪われ、そのようになっているのだと思っています。