フォロー

やっぱり喪(お別れの体験)のできなさの問題なんじゃないのか。

今、ふと思い出したけど、「ミッドサマー」のあの儀式も、多分、とても躁的なんだよ。だから気持ちが悪い。悲しみを克服して喜びにしよう的な気持ち悪さがあるのではないか。または個別的な生や死の体験を克服して、個を抹消してしまうような。

昔、デイサービスで働いていた時、年寄りばかりだから当たり前だけど、櫛の歯が欠けていくように一人、また一人と、来なくなる方がいるわけで、特養ほどボケちゃってもいないから、女性とか、結構仲良しがいたりして、それがある時から顔を見なくなって、暫くして職員に訊ねると亡くなってた…みたいな事があって、ある時、それをとても怒ったお婆さんがいた。「どうして教えてくれないんだ?」と。本当にその通りだと私も思った。と言うか、その前からずっと思っていた。

職員にしたら、皆んなが楽しく過ごす場として日々盛り上げて頑張ってるし(必要なんだろうか)、年寄りばかりだから当然そう言う知らせの頻度が高いのはどうかと配慮してると言う事なんだろうけど。

私は園芸療法のサブスタッフみたいな感じで非常勤で入ってたので、ちょっと正職員とは離れた立場だったんだけど、あれは辛かったかな。

年寄りだってお別れを悲しむ権利はある。つらいことも知る権利はある。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。