@sierie@toot.blue
ですよね。
もちろん教育基本法の改悪とか、学校教育が歪められた問題は大きいし、それ以前からの画一的な管理教育とか、学校でもいろいろあるけど。
そもそも戦後すぐの、一番民主主義教育に力入れてて、ニッキョーソが強かった時期だって、やっぱり皆んな「人権ナニソレオイシイノ?」的なところは少なからずあったわけで。
それはそもそも家庭に人権がなかったことが大きいし、何で家庭に人権がないかって、自分と相手が互いに独立した人格だと思う文化的基盤がないからですよ。
ちょっと話が逸れるけど、私がSNSやzoomなどのonline meetingが好きなのも、それがあるからのような気がします。
…つまり非言語的コミュニケーションが使い難い。何となく空気で威圧するとか、空気を読み取って自分の言動を決めるとか、曖昧な態度ながらなんか言ってるっぽくするとかがし難いツールなんです。
厳密には、それでも犬笛吹いたりいろいろ出来なくはないけれど、割とそういうのも書き言葉として記録残るし、見抜かれやすい。zoomミーティングもよく言われるように席順ないし、非言語的コミュニケーションの重みが少なく、より発言内容に重みが出来るところがあるので、嫌いな人はそこが嫌いなんじゃないかと思う。
私は子どもの頃から割と、良くも悪しくも、弁が立つと言うか、口が達者なところがあったと思うんだけど、今思えば、それを以っていろいろ貶されてきたりもしていて…例えば「女のくせに理屈っぽい」とか…。
夫婦喧嘩をしても、割と理詰めで行くので、「逃げ場を無くされる」とか「容赦ない」とか、いつも散々言われていて、まぁ実際にそう言うところもかなりあったとは思うけど、今思うとそれって案外、トーンポリシング的な側面とか、女がそもそも言葉を使うことに慣れていない感覚とかもあったんじゃないのかな、と思ったりもする。またはそれを予期して、私の方も余計に無駄に攻撃的になっているという側面もあったのかも知れない(「最初から恐怖と闘いながら何かを言うとトゲトゲしくなる」的なやつ)。
私もだからそれを止めようとするととても幼稚な状態に陥るしかなくなるというか、その落差を自分自身扱いかねていたところがあった。
そう言えば、良い歳してとても幼稚な雰囲気を身に纏っていたあるクライアントが、随分言語的コミュニケーションを身につけ始めてきたら、ご実家でそれを嫌った家族に殴られたという出来事があった。…そういうことなんじゃないか。