私はTwitterの場合はリツイートだけしてるとか、見てるだけとかも、アリなんじゃないかとは思うんだけど、リアルで自分を出さない人は流石に「そりゃないんじゃない?」とは思うかな。それにTwitterの場合、リツイートとか引用リツイートは、“引用“って言うくらいだから、発信者の明示がある。リアルで「そうそう、そう思ってた」って人は、本当に乗っかってるだけ感があるんだよな。「なるほどねー!」「そう言われてみたらそうかもしれんねー」くらいはせめて言って欲しい。笑

@zpitschi@mstdn.jp 引用とか拡散とかは、出典が明示されていれば基本的にはルール違反ではないし、集団が多くなればなるほど、そういう分担みたいなことは必然になる気がする。

ただその事とは別に、他者との関わりにコミットしない人がたくさん出てしまうことは、民主主義社会としての健康度を損なう気がする。ネット上であれ、リアルの隣近所であれ。そうしないと、私たちone of them みたいな人間が皆んな疎外された存在になっちゃうでしょう。「難しいことは分からないけど、それってどうなの?私、嫌だなぁ」「だよね?」レベルの話でいいから、自分の言葉で互いにコミットしていくみたいな事は、各自、自分のために、…そして全体のために、…必要なんじゃないかな。少なくとも私はそのノリでやってます。Twitterもこっちも。何て言うか…人間性の回復?

専門的な知識があったり、人よりも大切な話を上手く話せるようないわゆるインフルエンサーの言葉はご当人が良いならリツイートして皆で共有することは避け難いし、全体のムーブメントをある方向にまとめて動かしていくための大事な手段?でさえあるとも思うんだけど。

…あ、でもこれは自分がインフルエンサーではないから言える事ですよね、多分。そんなつもりもないのに皆んなに乗っかられるご本人にとってはとても嫌だったんだなぁと、こっち(マストドン)に来て、皆さんの本音を見て思いはしました。そんなに負担だったのかぁー、と。そんなふうに使われる義理は確かにないもんな、お金貰ってるわけでもないし。見えてる世界が違っていたのかも。


そうそう。私が「リツイートだけってのもアリなんじゃないか」って思ってたのは、私自身も最初、右も左も分からない時、そうだったのと、あと、私は自分のリアルの知人に結構片っ端からTwitter勧めてるんですが、苦労してアカウントを作ってもらっても、そこから実際にいいねとかリツイートとかして参加し始めてくれる人って、本当に少ないんですよ。多分とっても怖いんだと思う…姿を現すのが。しかも政治の話題で。もちろん匿名でなんですが、それでもハードルはとても高いんですよ、一般の日本人には。だから、リツイートしてくれるようになるだけでも私は結構、感激してしまう。いいねまではまだ少しハードルが低いんだけど、リツイートしてくれるようになる人って、10人に1人、いないですよ、経験的に言って。だから、それは許してあげて欲しいとは思う。Twitterで政治の話題で自分の言葉でツイート出来るって、一般の日本人にとってどれだけ高いハードルかと…。

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@zpitschi@mstdn.jp そうだ。思い出した。以前にTwitterでよく分からないでリプしてたら、YOKOさんがよく「私に話しかけないで。何か意見が言いたいなら引用リツイートして」って言ってたんだよな。それで、リスじゃなくて、引用リツイートで何かを書くように癖をつけることにしたのよ。だから、引用リツイートやまたはリツイートなら良いと思っていたのです。だけど、引用リツイートもリツイートもされるのが本当は嫌だったっていう人がこんなにいたとなると、本当にどうしたものか…という気持ちにはなるなぁ。

公開でSNSを使う以上、話しかけられるのもリツイ(ブースト)されるのも当然のことなので、プラットフォームは使うけれど自分が好まない機能は使われたくないというのはただのワガママに思えます。その人が自分の理想のSNSを探すか作ればいい話なので。

@ruriazami
…うむ。そう言っちゃうと身も蓋もない気もしていて、わたし的には「世界は皆んなの“ワガママ“の総体で出来てきている」くらいの世界観なので、“ワガママ“=ダメと言うよりは、どうやって皆んなが出来るだけ“ワガママ“をかなえながら、良い制度を作って運用していけば良いのかなぁとか(私が作るわけではないんですけど😆)、その“ワガママ“にはどんな意味があるのかなぁとか、そんなところで勝手に悩んでいます。棲み分けとか、そういうことも含めて。で、そして、私はどこに居場所を求めよう(私のワガママをどこでどのように叶えよう)と思うんです。

心理面接もクライアントが自分の“ワガママ“をどれだけちゃんと感じられて、感じた上で世界(現実)との折り合いの中でどう実現したり諦めたりを考える事が出来るようにしていけるか…みたいなことをしている気がするので。

@ruriazami ただ、ワガママを通したつもりで、「実は長い目とか広い視野とかに立つと本人も得してないよね?」みたいな事は結構ありますよね。ってか、私としては結構な割合の今の日本人って皆んなその落とし穴に落ちている感じはあるんじゃないかとは思ってます。目先の快を優先する事で、結局後から昔で言う“南北問題“的なことが起きて、後々すさまじいしっぺ返しを喰らって出口が見つけられなくなるとか。

ぴっちさんは優しい〜。私はSNSは任意なので問題あるものでない限りそこのルールに従うべきだしルールが嫌だからとマイルールを押し付けるのは間違っていると思うタイプです。お仕事はともかく日常でまで相手のワガママを聞いていられません😅
それと同時に、おっしゃるように相手のワガママを理解することが当人のメリットにならない場合も多いと思うんです。「自分の前で自分の知らない話をするな」という人がいたんですが、周囲は当然その人から離れていきました。自分のワガママを自覚してそのデメリットを受け入れられる人以外はそうなった場合に相手を攻撃するんですよね…。
目先の快ばかりを求める幼児性が日本社会をこんなにしてしまったのでしょうか。あまり人のことは言えませんが、どうすればいいのだろうとは思います。

@ruriazami 優しいとかでは全然なく考え方の筋道の立て方の問題だと思います。
今言ってるのはマストドンの私のTLに割とずっと普通に流れてきていて、そのために私が初めて垣間見る、私のフォロイーの本音なんですよね(つまりこう言う言い方が適切かどうか分かりませんが私がフォローしているのは割と普通の人です。世間的な意味で言って別に我儘な人ではなく。「Twitterでは随分負担感あったんだなぁ」と驚く気持ちになっているんですが)。

さっきも書いたように、私は人間にとって“ワガママ“(““付きです)って一番大事なものだとさえ思っているんです。もちろん自分のそれも含めて。それ以上に大切なものはないと思ってます。ただ自分に“ワガママ“があると言う事は自分と同じすべての人間にもそれがあるということで、もっと言えば、擬人化した自然や運命にもそれぞれの魂に“ワガママ“はあって、世界はその闘争の場…と言うと大袈裟ですけど。

で、もう一度、話を卑近なSNSに戻せば、例えば、SNSに期待する事だって各人違うし、立場によって負担感は変わってくるし、平らなつもりでも、実際にはいつの間にかいろんなことに配慮しないと無邪気にやってばかりもいられないような立場に立たされている人もいるんだろうし…みたいな話です。

人間の欲求は確かに重要なものですね。私が狭い範囲で考えていたようです。お時間とってしまい申し訳ないです。

@ruriazami いえいえ。こちらこそ。別に自分が何かすると言うわけでもないのに面倒くさいことをダラダラ書いてる私に付き合って下さってありがとうございます。☺️

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