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【9/21】モーゼスの「霊訓」(下)第32節 真理 akito-takizawa.com/2024/09/21/
深遠なる真理は独り静かに味わうべきもの

あるいは、こうも見ることができる。ひとりの向上心に燃える魂の熱望にこたえて授けられたものを、当人は万人に等しく分け与えられるべきであると思い込みます。そこで宝石が小箱から取り出され、一般に披露される。ユリの花が切り取られて人前に飾られるのと同じです。

とたんに純粋さが失われ、生気が半減し、萎縮し、そして枯死する。彼にとってあれほど美しく愛らしく思えた真理が、忙(せわ)しい生存競争の熱気と埃りの中で、あえなく新鮮味を失っているのを見て驚きます。おのれの隠れ処においてはあれほど純にして真なるものが、世に遺伝されると、見る間に精彩を失い、場違いの感じを受けるのを知って驚異すら覚えます。

彼がもしも賢明であれば、こう悟るところです – ヘルモン(5)の露は魂の静寂と孤独の中でこそ純化されるものであること、花は夜の暗闇の中でこそ花弁を開き、真昼の光の中では萎(しぼ)むものであること、すなわち至聖にして至純なる真理は霊感によって魂より魂へとひそかに伝達されるものであり、声高らかに世に喧伝されるべきものではないのだ、と。

むろん真理には、あたかも切り出したばかりの磊々(ら

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