フォロー

【8/22】モーゼスの「霊訓」(中)第12節 神についての啓示の歴史 akito-takizawa.com/2024/08/22/
神の本質は人間の理解力を超えている

が、神はそのようなものではありません。人間の哀れな奴隷根性などで捉えられる性質のものではないのです。神はそうした卑屈な想像しかできない愚昧な人間の無知を哀れみ、赦されます。けっして咎めだてはなさいません。無知は、故意でさえなければ、けっして恥ではありません。

が、神は、低劣な概念をいつまでも御生大事にする愚かさ、おのれの偶像を宿す暗くカビ臭い心に、新たな光を入れようとしない態度をこそ、お咎めになります。

闇を好み、光を嫌い、いつまでも過去の未熟な幻想にしがみつき、イエスの説いた単純素朴にして雄大な神に美を見出すことができずに、その崇高な概念に未開時代の神人同形同性説を継ぎ木しないと承知できない者たちをこそ咎められるのです。

それ以上の崇高な教えを受け入れられない者は今なお、けっして少なくありません。が、まさかそなたはその1人ではありますまい!

もしもそなたが、軽率にもわれらの教えを旧約聖書のそれと矛盾すると決めつけるのであれば、われらとしては次のように答えるほかはありますまい。すなわち、確かにわれらの教えは、神をあのような、腹を立て嫉妬す

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。