FF14 暁月ロールクエスト(レンジ) 

なんか予感があったので、最後にやろうと決めてた。

紅蓮のリベレーターは戦争に始まり戦争に終わってしまったから、アラミゴもドマもようやく戦争で失ったものに目を向ける時期が来たんだな。
悲しみの渦中にいるうちは悲しみだけで手一杯になるけど、少し時間が過ぎていろんなものが変わっていくのを目にしたとき、自分の失くしたものの大きさを思い知る。戻ってきた日常に、自分のかけがえのないものがもう戻らないことを理解する。

ドマで絶望に陥った人は、自分から大切なものを奪った悪として誰かを恨んだり憎んだりできなかった人だった。自国を虐げた帝国の象徴としてのヨツユは、罪を償わないまま人々の心に楔を植えつけて死んだ。ヒエンは生き延びたヨツユを悪として討てなかった。運良く無事で生き延びた人もいれば、理不尽に帰ってこなかった人もいる。そのことが理解できる人ほど、思い悩んで絶望に至ってしまう。

悲しみを持て余した人がそれぞれの方法でさまよっているのが印象的だった。今回は獣化した人を目の当たりにすることは少なかったけど、キセイの口寄せでなんとか心を保ってる人が多かったんだろうな。イザナミ様の存在をもってヒエンを恨むことができたからというのもあっただろう。

FF14 暁月ロールクエスト(レンジ&タンクも少し) 

グリダニアでカヌ・エ様を非難してた人たちは結果的に精霊信仰で団結したけど、今回は「誰かを恨むことは絶望に陥らないために有効な手段」っていう話だったのが考えさせられた。自分がつらいのはあいつのせいだと怒って恨むことは、負のエネルギーを自分の外に出して分散するような働きがあるのだと思う。

獣化した人を目の前で見た人が連鎖的に獣化するという危険なパターンがこれまでたくさんあったけど、キセイはイザナミ様の救済を心の支えにしてたから留まれたんだろう。自分の信じる物語があればそれを頼りに生きていけるという一つの例でもある。たとえそれが歪な形でも。
結果的にキセイは口寄せの不確かさを見破られ、一人でヒエンを恨んで、恨みを晴らすために行動に出た。恨みを抱き続けることにも限界があり、一人で持て余した感情は終末現象に関係なく、いつか暴発して身を滅ぼすという証明だった。

誰を恨んでいいのか迷う人々は、失ったものを見送って、人々に失ったものの記憶を語り、継いでいくという希望を抱く。もういなくなった人に会うのは難しいことだけど、まだ生きている人と話をすることはできる……暗黒騎士70でやったところだ……。

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FF14 暁月ロールクエスト(レンジ) 

ゴウセツにまた会えて嬉しかったよ。修験者めっちゃかっこいい。腰を痛めて寝てたら、誰かに呼ばれた気がして目を覚ましたって……まさか……まさかね。

自分が4.3で大ダメージを負ったの、ヨツユが単に死んだからではなくて、何も罪を償うことなく、誰かに利用された形で、それでも自分の望みを叶えて満たされて死んでしまったからだったんだよな。
今回のロールクエストでそこに少し触れてもらえてよかった。ヨツユは悪しき神だと自分を定義したけれど、絶対の悪になりきれないまま死んだことで、ドマの人にしっかり呪いをかけて死んだんだよな。きっちり復讐しきっててすごい。そんな風に残された呪いをどうやって解いていくのかって話でもあったね。

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