人が幸福(自由)を追求するかぎり、迫害や殺戮はつきものだ。人が幸福を感じる時は決って自由を感じたときであり、自由を感じた時人は幸福を感じる、多分。人の思想やジェンダー観もトポロジーのように個人によって様々であり(男女二元論の否定)、帰属意識も『たった1つの本質』に絞ることはできない。そもそも人の帰属意識は複数あるものであり、その人を構成する要素の配布も変化する(矛盾的自己同一や、両親のどちらかが外国人とか、生まれと育ちの国が違うなど。)

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なのに、人はアイデンティティ(人種、肌色、言語、宗教、思想、階級など)とかをきっかけに迫害や殺戮や拷問(正義の名のもとに)を行ってきた。自分が正義なら、(身内や被害者を守るような理由でも同じく)なんでもできるし、正当防衛になる。人は幸福追求をやめることはできない。望んでも望んでなくても、アイデンティティは家庭や土地の人間関係や属するコミュニティによって型にはめられ作られる。また、本質的な1つのアイデンティティを表明することを強いられる風潮が今の世の中にはある。でもアイデンティティはこれまでの生活から成る自分を構成する様々な要素なので、たったひとつに絞られるとは本当はない。

二足歩行になって人は最も難産で早産の生き物になった。脳が未発達の状態で生まれ、母体外で何年も世話をかけなければすぐ死ぬ。つまり人は未熟な生き物で助け合わなければ生きていけない種。『人が子供を育てるには、仲間が力を合わせなければならないのだ。したがって、進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した(サピエンス全史)。』
だから沢山の言葉が生まれてきた。(戦争もしてきた)四足歩行のままなら沢山の語彙や言語の流通は必要なかったはずだけど、99.9%の生き物が絶滅してきたように人も絶滅に向かっている。

価値は社会に依存している。人は社会に依存して生きているので、自分にとって社会的にメリットがあるものが価値になる。属するコミュニティ(社会?)が異なる場合、共感を得られないことは多いかもしれない。(また、価値は変動する)

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