『さびしさについて』植本一子/滝口悠生
滝口さんが、お子さん(2歳9か月)の子ども同士の諍いに対して、集団内の規範から外れたことを理由に非難したり本来謝るべき人へではなく第三者的な世間へ向けた発言で責任を回避しようとしてはいけない、と親として伝えることが娘への抑圧やトーンポリシングになるのではないか?弱者の立場の人との連帯を阻害するのではないか?と悩んだこと。
しかし娘さんは滝口さんの話をちゃんと理解してくれており、それが分かった時に「娘が生きる社会へ、小さな、けれど確かな働きがけができる、できた」という感触があったこと。
このエピソードは些細な、当たり前の積み重ねのはずだけれど、真っ当すぎてもはや衝撃を受けた。
『さびしさについて』植本一子/滝口悠生
「主夫」である滝口さんが昼間に久しぶりに外でひとり時間を過ごす際の心境や、幼いお子さんが立ち上がる姿をつぶさに見て細かく描写に残そうとする、そうした自身の気持ちを見つめた言葉が丹念に紡がれています。
SNSなどでたびたび話題になる、男性は自身の感情や感覚を自己開示できないという、「男性が自分を語ること」の難しさについて目にするたびに、この本のことを思い出しました。
植本さんが「母の言葉はどこへ行ってしまったのだろう。」と、お母さんにだって家族や社会や子どもに対して思ったことはいろいろあるはずなのに、ついぞ言葉にされてこなかったことを想う気持ちは、共感しすぎて忘れがたい。
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