アラスター・グレイ『哀れなるものたち』(高橋和久 訳)を読みました。
語りが入れ子構造になっている原作に対して、映画版では終盤のベラの書簡部分が丸ごとカットされていると知り、ベラの生き様と最後の言葉を読んだ者としてはすごく悲しい……。
ベラがこれまで奪われ続けてきたもの、選択し学び勝ち取ってきたもの、絶対に譲れない願い、それらベラという人間の人生が無かったことにされたように感じてしまう。
映画は未見ながら世界観や表現には惹かれるし、女性の主体性を一番のテーマとして描く物語になっているのだろうとは思うが、映画版がベラを主人公として語り直しているからといって、それをもって「真の意味でベラの物語」と表現されることには強い拒否感がある。
原作で描かれた一番のキモであるはずのベラから見た真実、そのベラの声を奪われたようにどうしても感じてしまって落ち込んでいる。