日本の差別的な社会構造が反映された現在の日本語の言語空間や言葉そのもの、言語構造では、自分の見ている景色、置かれている立場、追求したい表現が言い当てられない困難をずっと抱え続けてます。良くも悪くもにジェンダーの人」扱いにのみされることの苦しさがあるなか、ロールモデルもなく、どう乗り越えたらいいのかいっしょに考えてくれる伴走者(編集者)もなく、コミュニティもなく、ほぼひとりで悩み続け、限界を感じてます。
そんななか、ここ数年ブラックアメリカンやアジアンアメリカン、特に、さらに人種的マイノリティかつクィアな作家による小説や詩、現代美術などや、SNSからうかがえるコミュニティなら、もしかしたらヒントがあるのではと考えるようになりました。
そこで、今年はアメリカ・NYに滞在するための、ふたつ助成金に申請をしました。ひとつはアメリカの財団のもので、こちらはアメリカ本部の管理下と日本支部のものがあったようで、わたしは前者に応募しており、どうやらこの枠はベトナム系への助成の傾向が強いようで(戦争の加害責任の影響ということらしい)夏の終わりに不採択の連絡が。

そして、先日もうひとつ応募していた日本の助成金も不採択という知らせがあった。がんばって、紹介してくれた人の力は借りて、マグナムファウンデーションの研修受け入れの快諾までとったし、申請理由として挙げたリサーチ・研修の対象になる、クィアな一般的なコミュニティ、現代美術、文学に関わる人々のプレリサーチもできていて、具体的に書いたつもりだったけど。この枠は、助成の種類のなかでも最低ランクのもので、以前とった人から「かんたんだよ」とか、最高ランクのものをとった人について話題にすると「鈴木さんより英語のできない人だよ」とか言われて、自分も取れると思ってしまっていたけど、よくよく考えると、これまで採択されてきた周囲の人たちは学歴も最低でも(たとえばハイクラスの美術大学の)学士だったり、修士〜博士号をとってて高等教育の現場で教育的なステータスがあったり、学士もとれてない、公的な利益を還元できる的な立場にもないわたしとは違う、ということに気づきました。
そんなことを考えながら、再挑戦するつもりだった前者のアメリカの財団をチェックしたら、次期募集・日本支部枠が11月末が締め切りで、さすがに崩れ落ちました。

11月は、仕事もたいへんだったけど、メディア従事者向けのクローズドな『トランスジェンダー問題』の一部についての読書会を開くために、人選、内容の詰め、声がけ、スケジュール調整などをぜんぶひとりでやっていて、身も心もパンクしていたのでした。
企画した意図は、夏から、ジェンダーやそのマイノリティに関する知識が乏しいのはもちろん実態を知ろう・ふれようともしないにもかかわらず、文芸批評・書評家スジからのトランスフォビックな言説のくりかえしや加担、それらを問わない文芸畑の人々に対して、自分の仕事のフィールドでもあるので、いちいち石橋を叩くように面会や電話で考え方の確認や啓発や危機意識の共有をするなかで、『トランスジェンダー問題』が発売され、読書会などを行うのがいいのではないかと考えていたことを起点としています。さらに数ヶ月のあいだに、そこから、人文系の識者スジでも同様の言説が広まったり、「議論が必要」「表現の自由」系の差別言説への加担や維持されたり、といった傾向が強く表面化しはじめていたので、急いで具体化しないと、という危機感の高まりで動いていたのです。

メディア従事者・発言機会を持つ著名人らや、研究者も呼んで、経済、外交、内政などジェネラルなイシューにおいてトランスへの目配せがなかったり、あったとしても「LGBTQ」枠でまとめられたりする傾向を、いや、ジェネラルな経済問題は、女性に関する問題は、福祉の問題は、トランスとも関わりがありますよ、いちいち気を配って“ないもの”とはしないでほしいです、そういう意識を持ってくれませんかという啓発の機会として、『トランスジェンダー問題』の読書会を設けようと考えたわけです。
(ただし、同書については、経済性や出身階層・地域や就労・就学機会の格差に関して、日本における実態やマターへの意識の乏しさに、わたしも不満がけっこうあって、それをツイッターのようなフォロワーの多い場所、という意味で、表でいうのは政治的に得策ではないし、それでもこういう本が出ないよりマシなので、言わないように我慢してます)
4年前から、文芸批評〜一般誌向けの人文系もの書き・評論界隈でトランスフォビア的な傾向は確認してたけど、ほぼ誰も真に受けていっしょに抗ってくれたり心配してくれたりしなかったダメージの蓄積もあり、とても大変でした。

差別がなければ、あってもそれに抗う人たちがもっといてくれたら、募集開始時期も締め切りも情報をミスしなかったかもしれないのに、と憤ってしまいます。学校のインフラ、事務手続きがトランスジェンダー、ノンバイナリーやジェンダークィアの人々が使われる前提で築かれていないがゆえに、苦しみながらその改善を求めるうちに時間が経って、疲れ果てて、挫かれてしまった学歴を手にしていたら、もしかしたら助成金の採択がされていたのかな、とかも考えてしまいます。全部たらればですけど、実感として、自分のマイノリティ性が、いろんな機会を遮られていると感じてしまいます。
一般誌はもちろん、わたしが仕事をしている・仕事をしていきたいと考えている文芸誌の枠はとても狭き門で、ただでさえ「食っていく」(書き続ける)のがむずかしいなかで、原稿料および書く枠をとっていく競い合いがあるし、さらに年々と総合誌化していき、すでに別分野で知名度を上げている、特にアカデミアの人たち、学歴のある人たちへと書く枠(原稿料)が注ぎ込まれていく傾向が強まっています。

あまり好ましい態度とは思わないけど、たられば思考も含め、書く場所を得るために必死になってきた身として、もちろんひとりひとりの書き手がそのパワーを得る努力をしてきただろうとは想像できるものの、鍛えてもらう機会・学ぶ機会・学びのための横のつながりを作る機会を奪われてきたと感じる身として、パワーで横からかっさらわれていくような感じがして、嫉妬心も抱いてしまうのが正直なところです。
具体的には書きませんが、アカデミアの「LGBTQ」枠、あるいは「トランス」「ノンバイナリー」枠で、就労機会をえている人たちの声が大きく可視化されたり、発言機会を与える権利を持ったり、発言機会を得たり;執筆や発信のメディア労働においての賃金を得る枠をとったりするなかで、わたしはというと、自分がとても扱いにくい態度をとってきたのではない? 経済、就学、就労、能力、地域などの格差に鈍感だったり差別的な構造や言動や加担に目をつむったりする人たちに異論をはさんだり不当な状況で機会を得ることを断ったりもしてきたので、もっとうまくやれたらと内罰的になってしまいます。

お金がほしい、何も考えずに書いたり勉強したりする時間がほしい、誰かに教えを受けたい、サポートがほしい。
ほんのちょっとだけ、半年、いや三ヶ月でもいいから生きていくうえでの先行き不安を何も心配せずに「生きていていいですよ」という奨励がほしくて、応募した助成金でもあったので、本当にくじけそうです。
どうしたらいいんだろう……と、日本の某助成金の不採択の連絡から二日はかなり落ち込んで(昨日ですが)、動けずにいましたが、とりあえず何とか立ち上がろうと(わりと早いうちに、そう思える程度に、そう思える思考転換のための回復のルートを作ろうとできる程度うに、わたしも特権を得ているのだと思う)、「asia new york fund」とか「asia america grant」とかで検索しているけど、ライター(批評、創作)に助成する枠が見つけられません。
20年近く年収300万も超えたことがなく、貯金もなく、(一般社会で「認められる」ような)就労キャリアもほとんどなく、潰しがきかないから先行きも見えないこの生活・人生に、ほんの数ヶ月のあいだ、40~50万程度であっても助成がほしいのです。

どなたか知恵、金銭などサポートしていただけそうなら、よろしくお願いします。

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こんにちは(ご無沙汰しています)。
私も経歴に色が付きすぎており、コネも作れず、"業績"に見合った就職ができそうにないので半ば諦めている状況です。
社会人向けの(海外留学を伴う)助成金で、学士でも出せるものは40歳までとかですね……そして紐付き予算で生活費にも使えるものは殆どないのですが、アイディアとしてはどこかの客員研究員に登録して、誰か教員のプロジェクトに入るという道もあります。
自分で出すとしたら、なかなかど真ん中の募集はないのでなんでもこじつけるしかないのですが、nihonseimei-zaidan.or.jp/jidou これなんかどうでしょうか? セクマイのユースに結びつければ可能性がありそうな気はしますし、応募資格も特にないです。海外調査も中心でなければ行くことができそうです。
でもきっと海外の方がぴったりくる募集があるのでしょう。そのあたり全く詳しくなく、すみません。

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