歪みとつきあう
あるトゥートが複数回BTされてきた。きっと多くの人が賛同する意見なんだろう。
たしかに大意に異論はないのだけど、[バカ] とか [頭悪い] とかのフレーズがあると、この人が [バカ] と括っているほうに自分が含まれるのではないかという不安にかられて、とたんに主旨が見えなくなる。
その話題については、おそらくわたしの鏡が歪んでいて、言葉や事象をあるがままに映さないのだろうという自覚はあるけど、どうしようもなく感情は振り回されて、この人はきっとわたしのようには歪んでいないんだろうなとうらやむしかない。
歪んでいない人がまぶしく見えたり、恨めしいと思ったりする感情を、他者にいいように操られてしまうのを、[頭が悪い] からだと言ってしまいたくなる気持ちは分からないでもない。わたしの中にもたしかにある。だけどそれを口に出しても、いいように操っている側に手を貸す行為でしかないように思う。頭が悪い側の甘えだろうか。
と、ここまで言語化してもう一度初めのトゥートを読むと、やっと抵抗感が薄れているのを感じる。この繰り返し。もはや修行じみている。