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  さて、現在日本で猛威を振るっている「自己責任論」、長期的に見ると、少なくとも近世18世紀から連続している面があります。

 この傾向を歴史家の安丸良夫さんが、大原幽学や二宮尊徳を例にとって「通俗道徳」と命名。一時「通俗道徳」は欧米由来の近代個人主義を緩和する「村落共同体」のモラル、と解釈されましたが、これは間違い。

 実は日本の「ムラ」は朝鮮や中国(村の実態はない)と比較しても、「相互扶助」の伝統は薄い社会。従って近世東アジアといっても色々。

 この通俗道徳が明治以降「立身出世主義」に接続。これを支えたのが「学歴主義」。

 学生発布以来100年、「親より学籍が上がれば、所得と社会的地位も上がる」という前提=宗教で日本社会は回転して来た。これは15年戦争時でさえそう。

 戦後は大企業に入れば安定した人生がほぼ保障された。逆に「不適応」者は「自己責任」。しかし、この「お約束」の社会的前提が崩れてきたのが、ここ20年。

 今や日本の支配層は安定した雇用は人口の数パーセント=産業下士官にしか保証するつもりがない。

 となると、大学進学率だけ挙げても何の解決にもならない。これは200年単位の「移行期危機」。

 自己責任論から普遍的な社会保障へ、これは極めて重要な、しかし「重い」課題です。

 

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