(続き)
江戸の国学者達はこれを批判したが、明治維新の指導者達のイデオロギーは基本儒教的でそれが「忠孝」を中心とする教育勅語に結晶した。統一教会も同じだと云ふ。
田中さんは最後に「中国回帰した」日本と中国相互の自慢と攻撃の応酬を心配して文章を終わるのだが、こんなデタラメな話はない。
田中さんは江戸時代には庶民にまで漢詩文が浸透したことを批判的に叙述するが、狂歌、俳句、歌舞伎などは江戸時代に勃興し、明治以降にまで続いたが、日本の植民地侵略とファシズムを止めることはできなかった。また和歌会に見られるように天皇制と密接に結びついたジャンルもある。
いわゆる「日本語」から漢語の影響を排除していく言語学・文献学は本居宣長が江戸期に完成したが、その結果漢語由来の言葉を使わなければ、日本語で概念を含んだ論文は書けないことが分かった。こうした言語の「クレオール」(雑種)は別に日本語に限ったことではない。
ついでに言うと田中さんは「忠孝」イデオロギーと言うが、中国では「考」が上で君主への「忠」はそれより「下」。「忠孝」は明治国家の発明。「臣民」も同じである。
少し前「中国化する日本」という本を書いた与那覇潤という詐欺師がいたが、田中さんもこれでは与那覇と変わらないのでは?