WWII後、日本では大学におけるマルクス学が一時(今はほぼ消滅)隆盛を極めた。経済学以外の、哲学・倫理学の世界では、マルクス主義者は研究としては、ヘーゲル、フォイエルバッハ、ヘーゲル左派に向かった。
というのも、マルクスには所謂「哲学」的著作と言えるものはほとんどないからだ。マルクスはある時期から「哲学批判」に向う。
とは言え『資本論』も「経済学批判」であるから、マルクスはいつも既成の体系の批判を反復していたとも言える。
ところで、フォイエルバッハの主著がほぼすべて翻訳されているのは、少なくとも私の院生時代は日本くらいではなかったか、と思う。これは有難かった。
フォイエルバッハを読むと、マルクスの批判がいつもながら、一方的な裁断であることがよくわかって面白かった。
ところで、WWIIのヘーゲル左派の哲学的研究としてずば抜けているのは、廣松渉の批判的弟子であった大庭健さんのマルクス=シュティルナー論である。
すでに亡くなった大庭さんは東大闘争の際、最後の最後まで粘った一人で、分析哲学、数学基礎論、ルーマンのシステム論に通じたずば抜けた秀才だった。世間的にはこちらの方で有名だと思う。
私は立場は違うが、院生の時、随分胸を貸してもらったことには感謝している。