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 A.ゲルマン「わが友イワン・ラプシン」を観る。これで公開されたゲルマンの映画は全て観たことになる。

 1938年生のゲルマンは「道中の点検」(1972)が検閲で上映禁止になって以来、ペレストロイカまで映画が創れなくなる。

 作家は、まだ「密かに書く」ことができるが、チームと最低限の資金を必要とする映画監督にとっては撮影禁止はつらい。

 結局ゲルマンは1998年の「フルスタリョフ、車を」がロッテルダム映画祭が上映されるまで沈黙を強いられることになった。
 「神々の黄昏」(2013)の撮影後死去。この映画は死後上映ということになる。

 ソ連・ロシアの映画監督としては、タルコフスキー、ソクーロフなどが著名だが、ゲルマンは別格の貫禄がある。「宇宙飛行士の妻」などで知られる映画監督のA.ゲルマンJrは息子。

 ゲルマンのキャリアは、やはりポルトガルのサラザール独裁政権時代、沈黙を守り、その後105歳まで映画を撮り続けたオリヴェイラと相通じるものがあるように私は感じている。

 オリヴェイラ、晩年は駄作も多かったが、1991年の「神曲」や95年の「メフィストの誘い」はやはり傑作である。

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