新自由主義による格差の正当化は、規範としては「自己責任論」の内面化として現れます。
特に近年学生にこれが著しい。医学部や高偏差値の大学生は、たまたま親の資産によって受験パズルを解くのが得意だったのを「自分が優れた人種だった」からと思い込む傾向がある。
これに進化生物学の俗説が組み合わせると、手がつけられない。「自分はDNA的に優れている」、「優れた個体は自らのDNAを多く残す」、「劣ったDNA=競争の敗者は自然淘汰される」とまるっきり優生学的言説を内面化する。
医学部の学生などは分子生物学や遺伝学を知りもしないのに、「知ってるつもり」なので、尚始末が悪い。これは分子生物学や遺伝学者が、しっかりと初年次に「教育」をしないことにも責任の一端がある。それどころか、ご本人たちが優生学的言説に距離を取れてないことも多い。
この有様だから、大学生の「集団強姦」事件と言えば、たいてい医学部か高偏差値の大学の広告サークルである。
こういう時だけ「再発防止」のために教育学部や倫理学に「諮問」は来るが、「集団強姦」が反倫理的、法的に犯罪であることは大学の講義で教えるものではない。ただ「ダメなものはダメ」なのである。
しかし親の権力で示談に持ち込み、レイプを繰り返す連中がいるのはまことに許しがたい。