意外なことに星野智幸の文章が波紋を広げているようだ。
少し確認しておくと、この文章の肝は、
「ずっと社会派を期待され続けて、嫌になったりしないんですか?」
という「友人」の言葉である。
その後はお定まりのリベラル=左派=「正義のカルト」というクリシェ(紋切り型)である。
これは遡れば1983年のコムデギャルソン論争の吉本隆明の主張であり、元新左翼の広告屋達が扇動し、消費社会への批判を「封じる」ために用いたレトリック。
この論理に従えば、男女平等、ジェンダー規範の批判を主張するフェミニズムも当然「正義のカルト」となる。
実際星野が所属する文壇は、日本の数ある空間の中でも、最も「ミゾジニー」が爆発している所でもある。
女性、マイノリティーの小説家も多いのでは、と思われる方もいるかも、だが、「評価の権力」を握っている「批評家」はほぼ日本人男性に牛耳られている。
1980-90年代は柄谷を筆頭としてこの「批評空間」的なもののヘゲモニーは圧倒的だった。浅田彰の口癖は「女の浅智恵」である。
であるから、ここからプロデュースされた東浩紀が消費社会全肯定のネトウヨ大王であるのは、自然の流れである。
このハビトゥスを朝日が政局に利用しているという構図だろう。