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ガルシア・マルケス『百年の孤独』が文庫化されたことがちょっとした話題になっているようだ。

 ガルシア・マルケス(コロンビア)、カルロス・フェンテス(メキシコ)、オクタピオ・パス(メシコ)、マヌエル・プイグ(アルゼンチン)、フリオ・コルタサル(アルゼンチン)、バルガス・リョサ(ペルー)などのラテンアメリカ文学は、1959年のキューバ革命を機にパリで大きくクローズ・アップされ、その余波は日本にも及び、1980年代にはこの世代に先行する、アストゥリアス、ボルヘスなどととも多くの作品が翻訳され、一種の「流行」ともなった。

 しかし、これらのラテンアメリカの作家達は、みな米帝国主義に批判的だった。というのも、ラテンアメリカはWWII中に英国の非公式の植民地から米国の非公式の植民地に移行、多くの国では大土地所有者を中心とした少数の支配層と軍部が結託して、USAの現地代官となっていたからだ。後にバルガス・リョサなどは右派に転向したが、ガルシア・マルケスは最後まで左派としてアンガジュマンを続けた。ピノチェトによるクーデター後のチリに潜入した映画作家M.リティンに協力した「戒厳令下チリ潜入記」などは岩波新書に翻訳され、私も高校の時読んだ。

 しかし80年代の日本における流行は総じて表層的なものに留まったと言える。

 その理由はと言えば、ラテン・アメリカの作家達の政治的立ち位置を理解せず、80年代ポストモダニズムの衣装として消費されたことに尽きる。

 「魔術的リアリズム」という言葉が独り歩きし、大江や中上に影響を与えたとされるが、これは間違い。単に翻訳から、表面的な技法を少しばかり模倣しただけ。

 というのは、ラテンアメリカでは先住民、黒人、白人、支配層(白人)が、実際全く違う「時間」と「空間」で生きており、これを「リアル」に表現しようとすれば「魔術的」になる。

 日本の80年代は真逆であり、全てが政治性を消去した消費社会の「凡庸」さに解消された時代である。中上などは民俗学と魔術的リアリズムを混同し、挙句の果てに韓国に民俗学の効用を説教に赴いて、在日の知識人に厳しく批判される始末だった。

 ところで、1963年生の星野智之はと言えば、ラテンアメリカ文学の翻訳に携わった野谷文昭の所に出入りしていた筈であるが、やはり結局何も学ばなかったらしい。

正直、兄とも仰ぐ島田雅彦(1961生)に釣られて「誰でも言える」極右批判を少しした所で、島田が極右論壇誌の標的にされ、「恐れをなした」という所ではないか?

島田はと言えばこれも軽佻浮薄を絵に描いた男ではあるが、頭は星野よりはるかにいい(小説家としての才能はないが)。

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