大岡昇平原作、溝口健二監督の『武蔵野夫人』を数十年ぶりに観る。
文学と映画は全く別ジャンルの芸術なので、文芸映画というのは難しい。大河ドラマ的な構成にやすいトルストイの『戦争と平和』でさえ、何度も映画化されているが、成功作はない。
ところで、この溝口の『武蔵野夫人』全くの駄作である。溝口は1930年代と50年代の時代物で海外映画祭狙いの作品は、相当水準が高い。小津と並んで、映画史的には1950年代を「日本映画の時代」と言わしめる位である。
しかし、戦後の混乱期を描く「現代」を舞台にしたものはからっきし。
成瀬と比較して、溝口には花柳界の女性しか描けない、という決定的な弱さがある。成瀬は多様な職業の女性を描くことができた。
ところで、この映画を「失敗作」にした要因は「潤色」の福田恒存にある。福田は小説「武蔵野夫人」を「失敗作」と断じたらしいが、いくらなんでもこの映画のシナリオはひどい。
福田は小林秀雄ともに『正論』を73年にサンケイから創刊。70年代後半はフジテレビで「世相を斬る」などと小癪なことする。朴正煕との密接な関係。
早稲田英文教授の弟子にシェクスピアの翻訳をやらせ(名義は自分)、その弟子は自衛隊と密に交流していた「ど右翼」。最後は小林よしのりの神輿となった。