1983年が丸山眞男への組織的攻撃の年だったとすると、1984年の埴谷ー吉本の間の「コム・デ・ギャルソン」論争も当然、偶然ではない。
論争の争点は、この時点で「消費社会」段階に突入した日本社会をどう見るか、というもの。
埴谷は、「消費社会」の現象をあくまで世界資本主義の中の一局面に過ぎず、例え「日本が豊かにになったように見える」としても、それは「第三世界からの搾取」と表裏一体とした。
それに対し、吉本は「大衆が支持しているのであれば、それを批判するのは、スターリン主義」などという譫言で反論。「アン・アン」にコム・デ・ギャルソンの服を着て登場することまでした。
新左翼・吉本ファンから、消費社会の「犬」とも言える「広告屋」に転じ、30年前から表舞台に出てきて悪事をまき散らしている典型が糸井重里である。
浅田彰は一見吉本と相性が悪いように見えるが、「消費社会」肯定論の点では、実は相通じている。ここからネトウヨ大王東浩紀が飛び出してくるのは、個人的な関係は別にしても、筋が通っているのである。
こうしてみると、江藤淳、吉本隆明、福田和也、西部邁、当時の柄谷行人、蓮実重彦そして浅田彰、中沢新一とニュアンスの違いはあれ、戦後民主主義、戦後文学を「共通の敵」としていたの歴然としている。