“「これからはサルトルを読もうと思います」。大江作品の装丁を担当した画家の司修氏は…そう告げられたと明かす。「大江さんが『読みます』と言う時、次はそれについて『書きます』ということ」” / “大江健三郎「次はサルトル」 晩年の創作意欲、臆測呼ぶ 活字の海で -…” https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD238F00T20C24A5000000/
どうも、大江健三郎は「最後の小説」として、「サルトル」に回帰するつもりだったらしい。
渡辺一夫門下(F.ラブレーを中心とする16世紀専門)として大江の東大仏文科の卒論はサルトル論だった。その意味ではサルトルは始まり、サルトルに「戻った」とも言える。
ところで、この記事では阿部賢一とやらいう「専門家」が「早い段階でサルトルの政治的姿勢とは決別した」などとしゃらくさいことを言っている。勿論この男はサルトルの「政治的姿勢」も思想も「まるでわかっていない」ことは断言できる。
付け加えて言うと、大江自身も初期の小説の文体・表現に「露骨」にサルトルへの参照があるが、残念ながらサルトルの哲学・政治思想は理解していたとは言えない。
しかし、これは当然のことで、サルトルの哲学・政治を「理解」した人間は仏にも日本にも「いない」からだ。僅かにフーコー・デリダはかなり理解していたが、独創的な「後継者」たらんとして、意図的に「無視」した。
大江に関して言うと、ノーベル文学賞を貰った際、NHKでドゥルーズに言及しながら「これからはスピノザを読もうと思います」と述べていた。私は「どうせわからないから、やめればいいのに。やっぱり大江はミーハーだな」と感じた鮮明な記憶がある。 [参照]