「マリーの首」の演出担当者はロンドン五輪の際に、開会式の際、ジョエームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)がエリザベス女王をエスコートした場面への批判(あてつけ)として、マリーが幽閉されていたコンシェルジェリーでの「首」のパフォーマンスを考えたと云ふ。
仏では王制ではなく「共和政」であることが、一種国民的国民的「誇り」となっており、常に王制の英は揶揄される対象となる。
ただ、革命の際マリーが「オーストリア女」と罵倒されたように、仏共和主義は普遍性を唱えながら、排除する「外」をもつ構造もある。今回の五輪では「スカーフ」の排除がそうだ。
ところで16世紀―18世紀まで仏王妃は全員外国人。アンリ2世、アンリ4世はメディチ家。ルイ13世、ルイ14世はスペイン王女、ルイ15世はポーランド王女を妃に迎えている。これは完全に戦略結婚である。ある時期までは大陸欧州はブルボンVSハプスブルクの構図になったので、逆にハプスブルクから王妃を迎えて「バランス・オブ・パワー」を図ったのである。
さて、このアトラクションの「革命観」はと言えばドラクロワも参加した七月革命から、一挙に近年のLGPTQ革命へ飛ぶ。七月王政は現在の「エキセン中道」=マクロンがモデルとするものであり、その意味で政権の枠に収まったと言えよう。