これまで数回に分けて投稿して来た「伝統の創造」としての「ローマ法」継受、学問分野としては法制史に属します。
日本では、法制史、政治史、経済史、そして文学部の歴史学の間で分厚い仕切りがあるため、「伝統の創造」という概念に馴染みのある西洋史専門の方でも、ローマ法継受の系譜学はご存じない筈です。
欧州では伝統的な歴史学は、まず法制史・政治史として確立され、20世紀に入ってマルクス主義的な社会経済史がその体制に挑戦する形で発展したため、相互に視野には入っている。
日本では大塚久雄・石母田正から1世代までは社会経済史と政治史の関係は意識されていた。アナ―ル学派の「社会史」は社会経済史の延長線上に出てきたもの。網野、色川、安丸、鹿野政直の民衆史も基本上に同じ。
しかし、それから4世代立ち、経済史は完全に歴史学から離れ、法制史は消滅の過程にある。
しかし、ドイツ・ロマン主義のコロラリーである「歴史主義」が19世紀に何故概念法学としてローマ法を継受を試みたのか、は文学史・経済史・政治史だけからは分からない。
しかも、仏独のそれぞれ異なるローマ法継受、明治に日本にも導入され、現在に至るわけですから、単なる好事家の趣味として片づけるわけにもいかない。横断的な歴史学が求められる所以です。