1959年の「であることとすること」(丸山眞男)の冒頭で有名なった「権利の上に眠るもの」は19世紀のドイツの大法学者イェーリング『権利のための闘争 Der Kampf ums Recht』から引用されている。
イェーリングはドイツ歴史法学・概念法学をローマ法の再解釈を導入しながら完成に導く途上、突如概念法学を批判、所謂「自由法学」へ赴いた。
ところで、『権利のための闘争』で論じられているのは、「私的所有権」絶対不可侵のために、「不断の闘争」が必要である、という趣旨である。
イェーリングは「男らしい」私的所有権のために時には「命を懸けた闘争」をする諸個人によって構成された民族こそ、雄々しい国家の礎となると断定する。面倒だからと言って、私的所有のための闘争を放棄することは、国家の僅かな土地を割譲することと同じという見方。これは「一身独立して一国独立す」の福澤諭吉と符合する。
これは如何にも国家統一がない当時のドイツのそれこそブルジョアジーの思想である。
丸山は福澤の思考様式を評価すが、社会主義者であったので「私的所有権」を擁護したことはない(ただし自由は絶対擁護、念のため)。
従って、このテクストにおいてもイェーリングを脱構築して「民主主義のための不断の努力」を説いたのである。