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 丸山眞男の「であること」と「すること」、川端の「女であること」に対する批評がボーヴォワールの「第二の性」を踏まえていることは、投稿しました。

 さらに言うと、この論考のタイトル自体が、サルトルの『存在と無』第四部「もつ」・「為す」・「ある」ことへのオマージュであると言えます。ただし、丸山とサルトルの思想は、かなり異なる部分もあります。

 ちなみにこの丸山の文章、「民主主義」は、憲法第12条の「不断の努力」を引いて「自由と同じように「民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義であり得る」とします。

 その例として「人民の側からは指導者の権力乱用を常に監視し、その業績をテストする姿勢をととのえる」ことを訴えます。

 また現在の代議制の下では「プロ」の政治家=「政治屋」の暴走は民主主義は「非政治的な市民の政治的関心によって、また政界以外の領域からの発言と行動によってはじめて支えられる」とも主張する。

 現在の政治屋の腐敗、例えば晴海・築地・神宮外苑の案件、また米国の支持によって急いで軍事費倍増したために、今年度2千億使い切れなかったなどという「メチャクチャ」な話は、まさに「人民の側からのテスト」によって覆さなさなければ、民主主義は機能しない。

 朝鮮人虐殺事件への無視・侮辱なども同様です。

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