20世紀前半の「社会的カトリック」は資本家と労働者の間の支配・搾取関係を批判し、労働運動に参加する人々も現れます。
これは主に日常的に民衆と接する機会が多かった「村の司祭」(教会内部での地位は最下位)が中心になります。日本で『出る杭は打たれる』を書いたA.レノレ神父も極東にまで志願してやってきた労働神父です。
しかし仏における「社会的カトリック」にはナチスによる「占領」という試練がありました。
多くの司祭はレジスタンスを匿い、また自ら参加さえしました。ルイ・アラゴンの詩に「神を信じる者も、神を信じないものも」という句があるのはそのためです。
現在の歴史的調査では占領中、はっきり「レジスタンス」派は人口の1割、「対独コラボ派1割」、残りは最後まで「なだらかな日和見のスペクトル」だったとされている。
とは言え、この時のレジスタンスの犠牲と神話によってWWII以後仏では「ファシズム」・「極右」はタブーとされて来た。この「共和国の神話」がついに破られるのか、または守られるのか、明日日本時間7月8日未明には判明します。
下の映画は『影の軍隊』で知らせるJ=P.メルヴィルの『モラン神父』。レジスタンスに参加する神父をJ=P.ベルモンドが演じます。
「影の軍隊」で知られる(正)