小池都知事は、関東大震災の際虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典に7年連続追悼文を送っていない。「極右歴史修正主義者」としては「正道」なのかもしれないが、常識的には「言語道断」である。
この追悼碑が立てられたのは1973年、美濃部革新都政の時である。これでも事件から50年経ってからである。
2017年に自民都議から「やらせ質問」をさせて小池氏は追悼文を送っていないが、「やらせ」で「出馬要請」をさせる手法、全く変わっていない。
要するに、自分(極右)にとって気に食わないことを有無を言わせ「排除いたします」のスタイルは不動ということだろう。これで「Diversity」などと宣うのだから、開いた口が塞がらないとはこのこと。
都庁を365日ライトアップする「悪趣味」な事業に45億つぎ込むことには「外国人の方にも楽しんで頂いている」、要するに「カネのある外国人観光客」にしか関心はない。これで「グローバル・シティ」とは笑止千万である。
とは言え、蓮舫出馬は右派にはショックだったらしく、TVでは連日「貶め」に勤しんでいるという。「批判ばかり」というが小池都政は「批判する所しかない」のだから当然。
「週刊文春」まで蓮舫落としを始めているのだがら、むしろ勝利の可能性ありということなのだろう。