A.グルックスマン、B.H.レヴィ、B.レヴイなどなどは、いわばフランスの「68年世代」の象徴であり、全てユダヤ人である。当初アルチュセール・ラカン派のマオイスト、「転向」して、「人権」に立場から「全体主義」を批判する「ヌーヴォーフィロゾーフ」としてメディア的にビジネスを始めた所も共通している。
ベニィ・レヴイに関して言えば、BHL、A.フィンケルクロートとともにレヴィナス研究所を設立、シオニストとして活躍。
同時に、「ヌーヴォー・フロゾーフ」は体制派メディアに影響力があったレーモン・アロンに接近、そこでもNATO支持を明確にした。ちなみにアロンはCIAがWWII後設立した反共組織「文化自由会議」の仏代表である。
ドゥルーズはこれらのフランスの「与次郎達」を「詐欺師集団」と罵倒して切り捨てた。
アンドレの息子、ラファエルの詐欺師振りは父を凌ぎ、30-33歳までグルジアのウルトラ新自由主義者のサアカシュヴィリ大統領の特別顧問。サアカシュベリは南オセチアに侵攻した挙句、失脚。ウクライナに亡命、何故かオデッサ州知事を務める。
ラファエルは現在やはり新自由主義化した仏社会党系の欧州議会団のリーダーである。
ここにもフランスがNATO主義へと転落していった軌跡が現れている。
ただし、彼らの「人権」にはパレスティナ人は含まれていない。
サルトルが「植民地主義は一つの体制である」で指摘したように、「人権」は普遍的イデオロギーである故に、植民地独立を掲げるアルジェリア人は「人間」ではない、ということになった。現在のイスラエルもパレスティナ人を「野獣」と呼ぶ。
体系的な拉致・拷問・二重スパイへの「転向」マニュアルはアルジェリア戦争の際、仏軍によって開発され、後ラテン・アメリカの軍事独裁政権に「輸出」。J=L.ゴダールの「小さい兵隊 petit soldat」はこの問題を扱って上映禁止となった。
ちなみにアルジェリアは、法的には植民地ではなく「フランス」であった。従ってアルジェリア人も形式的には「フランス人」であったのである。
一国一共産党を採用していたコミンテルンも、それに従いアルジェリア共産党を認めなかった。
アルジェリア民族解放戦線(FLN)で共産主義がほとんど役割を果たさなかったのはそのため。
また仏共産党も仏国民多数の支持を失うことを恐れ、最後の最後まで態度を明確にしなかった(但し既成政党の中では最も批判的)。この傾向は現在のイスラエル批判にも表れている。ガザの大虐殺を最も激しく批判しているのは「服従しないフランス」の党首、メランション。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/112550855718216961 [参照]