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 10世紀に中国でシステム的に使用されるような黒色火薬は13世紀にはイスラム世界を通じて欧州に到達。

 14世紀には武器、まず少数の大砲として使用され始める。有名な例は百年戦争初期のクレシ―の戦い(1346)におけるエドワード3世。
 ただし、この時はまだ心理的威嚇効果が主で、勝敗を決したのはイングランド(ウェールズ)長弓隊。とは言え、仏側もジェノヴァの弩弓部隊を傭兵として動員していた。貫通力・射程だけでは弩(やはり中国で開発された)の方が優る。しかし、長弓の方が遥かに連射が可能なの上、仏軍は重騎兵騎士とジェノヴァ傭兵の連携がうまくいかず、大敗した。
 しかし、この時も最後に戦争の華となったのは騎士だった。

 戦闘員のほとんど全部が小火器を使用したのはフス戦争の際のターボル派(プロテスタント急進派)。ヤン・ジェシカを指導者とするターボル派はいわゆる「バンドワゴン戦術」によって、送られてくる神聖ローマ皇帝の十字軍を全て退けた。

 ヤン・ジェシカは日本ではほとんど知られていないが、チェコではプラハの広場で銅像が建てらている超有名人である。

 ところで、防護柵と野戦陣地、三段連射の長篠の戦の「伝説」は、18世紀にオランダを通じてもたらされた軍事革命のイメージを投影したものではないだろうか?


大西巷一のマンガ『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』 全12巻で描かれている話ですね(最初しか読んでないが)。

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