おやおや、柄谷行人さんの中で平野謙の位置づけがまた上がったらしい。忙しいことだ。
平野謙と言えば、同時代の日本語の小説はほぼすべて読む、という批評界の「淀川長治」。勿論、不得意分野もあり、その最たるものは「近代文学」同人の埴谷の「死霊」だった。また島尾の「死の棘」を最初評価し損なったのは「痛恨の極み」というところだろう。平野、狂気に触れる言語はあまり得意ではない。
戦後直後の平野謙・荒正人のプロブレマティークについては1998年「政治の不可能性と不可能性の政治」で論じたが、その後26年経て「応答」なし。
実は、柄谷さんは「荒正人再評価」を口にし始めたが、周囲の茶坊主に「止められて」やめてしまった。
これは「サルトル」評価とともに日本の思想言説が大学も批評界も全くあてにならないことをはしなくも証明した。
勿論、私はそれを「証明」するためにもサルトルと戦後思想を研究対象にする、と30年前に宣言したわけだけれども。
しかし、インテリは、如何に「自分でものを考えられないか」ということを痛感する30年だった。要するに流通している「紋切り型」でしかテクストに向き合えないのである。
ところで、平野は人生の最後にハウスキーパー問題に回帰。思想に芯がある人だった。単に小説が好きな人ではない。