アフガーニーは「帝国主義の時代」における反植民地思想家・運動家としては、例えばインドのガンジー・ネルー、中国の孫文に比較できる存在である、と言えるでしょう。
東南アジアでは、ベトナムのファン=ボイ=チャウ、フィリピンのホセ=リサール、ジャワの女性教育の主導者カルティニなどがアフガーニーと同時代を生きた反帝国主義思想家です。
アフガーニーの特徴は、近代化した「イスラム」を広く定義することで、ペルシアとアラブを包含する運動を構想したこと。
これがペルシアでは「タバコ・バイコット」運動、エジプトではオラービー革命を生み出していった。
オラービー革命を鎮圧した英国はエジプトを完全保護国化。これに対する抵抗が、1952年のナセルをリーダーとする自由将校団の共和国革命へと繋がっていく。
また「タバコ・ボイコット」運動の反帝国主義は、WWII後世俗派ナショナリストのモザデクの石油国有化への流れとなる。
エジプト、アラブ、インド三者とも、英帝国主義への抵抗としてナショナリズムが勃興したが、WWII後英国に代わって覇権国家となった米国が、三カ国に同時に介入していく。これが国際冷戦レジームの中東・南アジアにおける大きな構図である。
非同盟中立のインドは、冷戦時代、米国にかなり揺さぶられた。