集英社の『アジア人物史』、著者の一人、栗田禎子先生からご恵投いただきました。ありがとうございます。
栗田先生の担当は、ジャマールディーン・アフガーニー。アフガーニーは、西洋帝国主義列強、とりわけ英国によるアラブ・イラン・インドへの侵略に対して、立憲主義・法治主義に基づいた、「近代化」したイスラム主義と、アラブ、イラン、インドのイスラムの連帯を説いた思想家。
このアフガーニー、1980年代の私の高校時代は教科書にも掲載されていなかったように思う。
史上初の黒人共和国ハイチの指導者、「黒いナポレオン」トーサン・ウーヴェルチュールとともに、研究が教育に徐々にではあれ、フィードバックしていった例だろう。
それにしてもこの大部な書物、いくら荒木飛呂彦の装画とは言え、4000円台、とは集英社もかなり大胆な賭けに出た、という感じはする。
アフガーニーは「帝国主義の時代」における反植民地思想家・運動家としては、例えばインドのガンジー・ネルー、中国の孫文に比較できる存在である、と言えるでしょう。
東南アジアでは、ベトナムのファン=ボイ=チャウ、フィリピンのホセ=リサール、ジャワの女性教育の主導者カルティニなどがアフガーニーと同時代を生きた反帝国主義思想家です。
アフガーニーの特徴は、近代化した「イスラム」を広く定義することで、ペルシアとアラブを包含する運動を構想したこと。
これがペルシアでは「タバコ・バイコット」運動、エジプトではオラービー革命を生み出していった。
オラービー革命を鎮圧した英国はエジプトを完全保護国化。これに対する抵抗が、1952年のナセルをリーダーとする自由将校団の共和国革命へと繋がっていく。
また「タバコ・ボイコット」運動の反帝国主義は、WWII後世俗派ナショナリストのモザデクの石油国有化への流れとなる。
エジプト、アラブ、インド三者とも、英帝国主義への抵抗としてナショナリズムが勃興したが、WWII後英国に代わって覇権国家となった米国が、三カ国に同時に介入していく。これが国際冷戦レジームの中東・南アジアにおける大きな構図である。
非同盟中立のインドは、冷戦時代、米国にかなり揺さぶられた。