1990年代位から欧米で大騒ぎするようになった「イスラム原理主義」、元はと言えば、イラン、イラク、エジプトという大国の近代化を米英が強引に覆したことに拠る。
イランは、WWII中米英とソ連が共同占領。戦後はアングロイラニアン石油(現BP)が利権を独占。これを1951年世俗民族主義者のモザデクが国有化すると、MI6とCIAはお馴染みの連携プレーでこれを1953年に打倒。
王政が78年にフーコーが「一般意志が地上に舞い降りた」と呼んだ革命によって打倒されると、米国はこれを敵視。イラン・イラク戦争ではフセインを支持した。
この戦争体制によって、イラン革命支持層の中の立憲近代派、共産党は一掃された。
中東最大の共産党と言われたイラク共産党はフセインのバース党によってすでに粛清。
また米国の援助で巨大になり過ぎたイラクは2度の湾岸戦争で崩壊。あとにはスンニ派ジハーディストとISILが残された。
エジプトは1979年にイスラエルと国交を結び、パレスティナを「見捨てた」。また79年はエジプトの新自由主義が本格的に起動。
その矛盾が2011年のアラブの春となって表れたが、軍部は選挙で選ばれたムスリム同胞団政権をクーデターで倒し、シシを大統領に。これでは米ーイスラエル枢軸に対抗すべくもない。