さて、不安定性、ダイナミズム、死の予感などの特徴だけでは「バロック」と「ロマン主義」の区別もつかない。実際ある時期からの日本の批評はとにかく「バロック」的と言っておけばいい、という風潮もあった。
 
 ただし、ロマン主義はフランス革命とナポレオンを前提としている点で、はっきりと歴史的(近代)概念であり、バロックとは区別されるべき、と私は考えている。仏でプレ・ロマン主義に分類されるコンスタンやシャトーブリアン、それにドイツ・ロマン派は典型的にそれにあたる。ユゴーやミシュレは当然である。
 バロックとの決定的な差異は「自意識」。バロック的「自意識」とはまず言わない。

 また音楽に「バロック」という概念をどれだけ応用できるか、になると疑問。モンテヴェルディかたバッハまでを「バロック」と纏めるには如何にも無理がある。またバロックの特徴とされる装飾過剰はバッハの音楽からは削ぎ取すことができる。

 またベラスケスは17世紀スペイン・バロック期の最大の画家であるが、『言葉と物』の序で鏡と視線の交換の如何にもサルトル的分析によって、ベラスケスの「官女たち」を17・18世紀の「古典主義」のエピステーメーの症候として記述している。

 ことほど左様に芸術における「概念」と応用は一筋縄ではいかない、ということであろう。

フォロー

ベラスケス「女官たち」

「おそらくこのベラスケスの絵の中には、古典主義時代における表象関係の表象のようなもの、そしてそうした表象のひらく空間の定義があるといるだろう」(M.フーコー『言葉と物』)

 しかし、エル・グレコやあるいはベルニーニの「聖テレサの法悦」に関して、同じことは言えるだろうか?

 そもそもベラスケスは、この時代、あるいは西洋美術史においても傑出した大芸術家であって、「バロック」という枠にも「古典主義」という枠にも収まらない。

 このあたり、フーコーもある意味バロック的カトリックとジャンセニズム(パスカルなど)が、せめぎあいながら、「古典主義」美学を発達させた、「あまりにもフランス」的な美学の内にいる、とも言えるのかもしれない。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。