1980年代のフランスではWWII中のホロコーストと反ユダヤ主義の包括的な関係について、注目が集まり、その関連で「歴史の記憶」論なども活性化した。
C.ランズマンの「ショアー」(1985)などが大きな反響を呼んだのもその文脈である。また哲学界ではリトアニアのアシュケナージである、E.レヴィナス(1906生)への再評価が急激に高まった。
レヴィナスの哲学の中心概念は「他者」と「倫理」であり、この点、デリダはともかく、ドゥルーズ=ガタリやフーコーとは完全に立場を異にする。
日本では80年のポストモダニズムの後、レヴィナスが導入されたので、90年代のポストモダニズム少年(「俺偉い」の男子中2病の群れ)は、これに激しく反発。
浅田彰もこの中2病の集団を支援し、「レヴィナスの顔(他者の隠喩)なんて、殴っちゃえばわからなくなるからね」なとど煽っていた。
レヴィナスの哲学はフッサール、ハイデガーの影響が強いこともあり、サルトル研究者にとっては必読だが、如何せん「政治」の次元が抜け落ちているのが弱点。
いずれにしても、レヴィナスのを援用すれば、今のイスラエルにとっての「他者」とは「餓死していくパレスティナの子供」になる。
90年代の日本にとっては「従軍慰安婦」の人々がまさに「他者」だった。