例の「困った」東大の先生、福田和也の世迷い亊に「満腔の同意」を発信している。
どうにも「頭が痛い」ことだが、これはこの人が、エリート学校秩序の「外」に一度も出たことがないことに由来するのだろう。
何やら金沢や北九州に子供の頃いたことを自慢しているが、やはり中学の時に神戸か大阪に来て、2,3度「シメられた」方が、本人の経験値も豊かになり、「認知の歪み」も多少は修正され、研究もより幅広く、深みが出た筈である。
30過ぎて「京大の先生」としてやってきた京都を「心の故郷」などと笑止千万なことを言っているが、京都と大阪・神戸は「関西」と言っても全く違う(神戸と大阪も違うけど)。しかも京都は文化人を「甘やかす」土地柄。これで京大の先生なのだから、どっぷり「ぬるま湯」に20年漬かっていたこと、これは間違いない。
実は湾岸戦争反対ネットワークの早稲田仏哲の人は、かの人と私立武蔵の同級生だったが、あの「戦争」で「今まで自分は何をしていたのか?」と自己を振り返っていた。
ま、それはそれとしてコミンテルンの人民戦線戦術の採用とモスクワ裁判が同時期であることに「今更気づいた」と発信しているが、何を言いたいのか?「思わせぶり」はよくない。
この時期は私はかなり詳しいので、教えてあげてもいいよ。
ここで、私が書いたのは中学時代の話。「裏秩序」はさすがに高校にはなかった。
中学の時も、卒業後数人は「本職」に一度は務めたが、全員数ヶ月で辞めたと記憶している。つまり職業としての「ヤクザ」は相当大変なのである。さらに暴対法以降さらに人員は減りつつげ、この10年で半減、とルモンド・ディプロティークの記事にあった。
いずれにせよ、現在でも「中2病」と言われるくらい13-15歳付近は自我が不安定になりやすい。不安定になる自我を支えようとルール違反の「マウンティング」が交錯するのは、変わらないようである。
しかし、地域単位の公立中は様々な家庭背景・階層の子供が入れ乱れて秩序を模索する仕組み自体はいいと思う。神戸では、在日、沖縄、部落の人が多かったので、その意味での多様性もあった。ただ、そこでの紛争が「イジメ」にエスカレートしないように「大人」が見守っている必要があるけれども。
ちなみに私は「イジメ」を犯罪として警察を学校に入れようとする意見には反対である。これは警察を信用し過ぎ。
ただ現在の日本社会では親が「リベラル・レフト」の人は子供が生き残れるように特別な配慮=訓練は必要だと思う。「子供の人権」を守るけでは、学校を出てから困ったことになる。日本は「大人の人権」には全く関心がないのである。
学校側からの「暴力」=体罰に関しては、80年代のことだから、今のように「タブー」視はされていなかった。ただし、基本的に体罰に関しては「予測可能性」が高い。
稀に、これみよがしに柔道技で足払いをする右翼の国語教師もいたけれども。この国語教師、後に神戸のど真ん中の校長になったというから、教育委員会や校長達の体質が知れる。
この柔道教師群は曲者で、基本体罰がなかった高校でも、必修の柔道では、「授業」の名を借りた典型的な「体罰」に類するものがあった。また柔道・体育教師達は、校長の手下となって、まだぎりぎり生息していた左派の教諭達への、「いやがらせ」を積極的に行っていた。
そこで、或る時柔道教師への一般生徒の側からの反発が高まった時を捉えて、柔道授業ボイコット・柔道教師批判イベントをした。
狼狽えた柔道教師は、各クラスに個別に「泣き落とし」戦術を行い、学校側も「これからは行いを慎む」という落としどころを提示、「手打ち」となった。
高校の左派教諭の最年長者は「恥多き火炎瓶闘争時代」を語っていた。朝鮮戦争時、阪神地域は山村工作よりも警察との直接対決の構図。これを鎮圧するために米軍も出動。
授業で校長や中曽根をガンガン批判する人は、「革命は祭り」と言って教室を横断して踊り狂っていた。