この投稿、怒りに任せて書いたはいいが、どうもまた「誤解」が生まれる余地があるので補足します。
私自身は、中学・高校時代、一度も「シメたり」、「シメられたり」したことはないことは明言しておきたい。
ただ、80年代の神戸は一方で愛知と並んで管理教育で名高く、他方広告屋が煽る「ヤンキー文化」全盛でもあったので、かなり学校内秩序は混乱していた。
学内では、いわば「裏秩序」というものがあり、ここでの「ボス」は中学入学時に希望者が参加して「暴力」で決められる。
その後学区、市単位でのトーナメント戦が行われていく仕組みである。
ただし、この空間に参与している人間は5%くらいで、通常はーとくにボスはー一般生徒内の紛争には介入しない。ここは当時の「ヤクザ」と「市民」の関係と相似。なんといっても神戸は山口組の本拠である。
ただし、95%程度は「ヤンキー文化」の文化ヘゲモニーの下にあるので、ここで「グレーな」闘争がある。
この言説空間で「イチびっている」となると「シメられる」可能性が出てくる。
私はと言えば「イジメ」に関する全校集会で、マイクを渡され「日本の右傾化と教育の危機」を論じ、途中で教師に遮られていたので、いずれの空間にも所属しておらず、完全に「浮いていた」と思う。
学校側からの「暴力」=体罰に関しては、80年代のことだから、今のように「タブー」視はされていなかった。ただし、基本的に体罰に関しては「予測可能性」が高い。
稀に、これみよがしに柔道技で足払いをする右翼の国語教師もいたけれども。この国語教師、後に神戸のど真ん中の校長になったというから、教育委員会や校長達の体質が知れる。
この柔道教師群は曲者で、基本体罰がなかった高校でも、必修の柔道では、「授業」の名を借りた典型的な「体罰」に類するものがあった。また柔道・体育教師達は、校長の手下となって、まだぎりぎり生息していた左派の教諭達への、「いやがらせ」を積極的に行っていた。
そこで、或る時柔道教師への一般生徒の側からの反発が高まった時を捉えて、柔道授業ボイコット・柔道教師批判イベントをした。
狼狽えた柔道教師は、各クラスに個別に「泣き落とし」戦術を行い、学校側も「これからは行いを慎む」という落としどころを提示、「手打ち」となった。
高校の左派教諭の最年長者は「恥多き火炎瓶闘争時代」を語っていた。朝鮮戦争時、阪神地域は山村工作よりも警察との直接対決の構図。これを鎮圧するために米軍も出動。
授業で校長や中曽根をガンガン批判する人は、「革命は祭り」と言って教室を横断して踊り狂っていた。
ここで、私が書いたのは中学時代の話。「裏秩序」はさすがに高校にはなかった。
中学の時も、卒業後数人は「本職」に一度は務めたが、全員数ヶ月で辞めたと記憶している。つまり職業としての「ヤクザ」は相当大変なのである。さらに暴対法以降さらに人員は減りつつげ、この10年で半減、とルモンド・ディプロティークの記事にあった。
いずれにせよ、現在でも「中2病」と言われるくらい13-15歳付近は自我が不安定になりやすい。不安定になる自我を支えようとルール違反の「マウンティング」が交錯するのは、変わらないようである。
しかし、地域単位の公立中は様々な家庭背景・階層の子供が入れ乱れて秩序を模索する仕組み自体はいいと思う。神戸では、在日、沖縄、部落の人が多かったので、その意味での多様性もあった。ただ、そこでの紛争が「イジメ」にエスカレートしないように「大人」が見守っている必要があるけれども。
ちなみに私は「イジメ」を犯罪として警察を学校に入れようとする意見には反対である。これは警察を信用し過ぎ。
ただ現在の日本社会では親が「リベラル・レフト」の人は子供が生き残れるように特別な配慮=訓練は必要だと思う。「子供の人権」を守るけでは、学校を出てから困ったことになる。日本は「大人の人権」には全く関心がないのである。