ナベツネは、戦前からの日本政界のフィクサー(黒幕)の典型。
元来、中曽根に接近したのも、当時の読売社長、正力松太郎が鳩山一郎の次の自由党総裁の座を狙って、「連絡役」として関係をもったとも言われている。
正力は戦前の内務官僚で、戦後公職追放。占領終了後、政界への復帰を狙っていた。
それにしても日本における原発政策に正力と中曽根が果たした役割を考えると、パワーエリートの中枢が如何に連続しているかがわかる。
ナベツネは読売社長になった1990年代にもフィクサー振りを多いに発揮。
「犬猿の仲」であった自民党の野中と自由党の小沢を密かに合わせて連立を橋渡し。ただ、この際自民党とナベツネの目標は公明党を連立に引き込むこと。
公明党はいきなり自民党と連立はできない(創価学会の反発が強い)ので、自由党という「緩衝材」の先行発車を求めた。
そこで、ナベツネは池田大作と会談。「創価学会の反発を押さえられるのは池田さんしかいない」として、自称「ドイツ哲学者」(ネベツネ)と「宗教哲学者」池田大作の両巨頭の連携と自画自賛。
1999年自公政権は、ガイドライン法案、国旗国歌法案などを連続成立。その後自公政権は、短い民主党政権時代を挟んで長期の安倍政権を経て、今に至る。
まさに「失われた30年」である。