大学のゼミの学生には、受験産業でアルバイトをしている人がある程度いる。
その学生達が言うには、都内の高偏差値の大学の私大の学生には、低い偏差値の大学のことを「Fラン」などという言葉で貶める習慣がかなり広がっているようだ(東大などもそうかもしれない)。
これは端的に言って、たいへんよくない傾向である。
たかが18歳かそこらまでの、しかも受験パズルの巧拙によって、「人」の価値が左右される筈もない。しかも、このパズル競争の結果は、統計的には親の所得・資産に相関していることは、はるか昔から実証されている。
学生たちの話を聞くに、どうも昨今の大学生達には「人は生まれながらに平等である」という「常識」が浸透していない節がある。
一方、チンパンジーと同じく「ヒト」も青年期は激しい「承認」をめぐる闘争に晒されるのは事実であり、他人を「下げる」ことで自己を肯定しようとするメカニズムが作動しやいのは自明の理。
しかし、他人を「貶める」ことで自己を肯定しようとする心性の蔓延は、結局「ネトウヨ」の温床へと繋がる。
勿論、「承認」をめぐる闘争、ヘーゲル以来哲学的にも厄介な問題ではある。しかし、現在新自由主義的「生の様式」は、この「闘争」を負のベクトルへと極端に加速させているようである。