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  アジア太平洋戦争の末期の3月10日、カーティス・ルメイ少将率いるB29爆撃編隊は、東京大空襲を決行。3時間の爆撃で、東京を焼き払い、死者10万人以上、被災者100万以上、家屋25万以上焼失、持ち通り東京は焼け野原となった。

 その時、偶然本郷の東大病院は空襲を免れており、被災者が殺到。

 当時東大病院に副手として勤務中だった26歳加藤周一さんは、文字通り三日三晩不眠不休で看護にあたった。

 空襲でやけどや身体に損傷がある患者は病院に廊下に溢れかえり、加藤さんは「横たわる患者を飛び越えながら」治療、看護にあたったと言う。

 しかし、戦争末期、たださえ医薬品はすでに不足しており、わずかに残った鎮痛剤や消毒液をつかって治療にあたった。

 おそらく、現在イスラエルの空爆下のガザの病院の医師・看護師もほぼ同様の状況に置かれているのはないだろうか?

 戦争に批判的だった加藤さんは医局において「浮き上がった」存在だったが、この空襲の日ほど「周囲の人間の一体感を感じたことはない」としている。

 ハマスに批判的な医師たちも、今同じような感情を抱いているのではないだろうか?

 加藤さんはまた、占領下の日本で東大医学部関係者として米軍に同行、広島を訪れている。ここでも「この世の地獄」を見たことになる。

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