アフリカ大陸南部、タンザニア、アンゴラ、モザンビーク、ローデシアなどの地域は1970年代に脱植民地化が進みます。これに立ちはだかったのが、アパルトヘイトの南ア政府と米国・英国です。
しかし、「植民地解放」の大義と社会主義国の支援により受け、タンザニアがまず独立。ポルトガルの植民地であったアンゴラ、モザンビークも続いて独立。
この趨勢に危機感を募らせた南ア政府は米英の支援を受け、ナミビア、ローデシアを掌握。アンゴラとモザンービークを内戦に陥れる。所謂「子供兵」が養成されたのはこの時期。
この情勢で天王山となったのはアンゴラ内戦。最終的には南アフリカ政府軍VSキューバ軍となり、キューバ軍勝利となり、一応形式的な「脱植民地」の道がかたまる。
ところで、このアンゴラ内戦、国際的にはソ連・キューバVS南アフリカ、米、中国でした。
つまり中国の「文化大革命」とは国際政治ではソ連を敵とみなし、ソ連の敵とはあたりかまわず同盟する政策。米国のキッシンジャーは巧みにこれを利用、米中同盟、エジプトのソ連との断交を導き出し、包囲の環を縮める。
アフガン侵攻の際も中国は米国とともにムジャヒディーンを支援。こうなると公的イデオロギーは関係ない。
国際政治とは事程左様に「複雑怪奇」なのです。