「無責任の体系」と言論封殺
しかし今日の日経のコラム「春秋」あまりにも衝撃的だったので再考する。
冒頭に
「かくもゆたかな海は何事も悠然と飲み込んでいくー」という始まり。
次がかの
「原子力発電の事故という人間の大きな過ちを海は許してくれるだろうか。」というポエム。
このポエムは、事故の「責任主体」を「人間一般」に解消する。
「人間の過ち」と言ってしまえば、強制退避されられた住民も生業を奪われる漁民も、また汚染水を懸念しているマーシャル群島の住民も、みな「人間」である
実際このコラムでは東電と原子力ムラの「責任」は一言も語られていない。
ここまで来ると、日本のメジャー言説、丸山眞男の言う「無責任の体系」から変化していないのでは、という疑いも湧く。
他方、この論法で丸め込めない人々には経産省を代弁して開沼博が「風評加害」と法的告訴の対象とすべきと提言(スラップ訴訟)。
現在は政治家とマスコミを対象とする、としているが、すぐに市民団体、個人にも拡大できるだろう。
実際笹川財団は自分達で新大学の説明を動画でしておいて、気に食わない私の論評には「告訴」の脅しをかけてきている。
この「みんなが悪い主義」と少数派の法的弾圧、まさに21世紀のファシズムの言論弾圧である。