プルーストやネルヴァルに関する「研究」はその後、三世代を経てさらに進み、おそらく多くの若い研究者は「中村真一郎」の名前さえ知らないだろう。
しかし、仏でプルーストやネルヴァルに関する博士号を貰った仏文研究者に、決定的に欠けているのは、戦時中に殴られながらも洋書をバスで読むことをやめなかった中村さんの「気迫と気概」である。
であるから、中村真一郎は単なる「おフランス」にしか過ぎない有象無象の仏文学者とは根本的に異なる。
しかし、東浩紀系の自称「神々」@東大駒場の連中は、「おフランス」でさえないのはさらに問題である。
この「残念な」連中を生んだ中継者としては、渡邊守章、蓮実重彦、小林康夫の三人の駒場の「おフランス」達が挙げられる。
小林康夫などは学生時代「大学解体」を叫んだあと、仏でリオタールの授業に最前列で座り続け、帰国後は大学当局側にたって「大学解体」を推し進めた、かなり滅茶苦茶な男である。
しかし日本の仏文研究の流れを決定づけたのは、やはり蓮実重彦。
蓮実は自覚的にマチネのグループを「敵」として狙い定め、その言説は、仏文学の後続世代に圧倒的に支持された。
こうした歴史を振り返ると、日本のフランス学が再生するには蓮実・小林、つまり駒場表象文化論的なものと決別する以外にない。